大阪学院大学陸上競技部 監督 志水貢一先生浅井フーズ通信

人物探検隊

2010年 夏

志水貢一 Kouichi shimizu
1948年福岡生まれ。福岡大附属大濠高校にて3年連続全国高校駅伝出場(2年次優勝、1、3年次準優勝)。ユニチカ㈱にて全日本クロスカント リー大会優勝。日本体育大学にて箱根駅伝4年連続出場(1~3年次総合優勝)。熊本工業高等学校、熊本養護学校、県立大矢野高校教員を経て、1990 年に熊本市立千原台高等学校(市立商業高等学校より校名変更)に着任、陸上競技部監督。2010年4月大阪学院大学陸上競技部監督に就任。

競技者から指導者へ

この春から大阪学院大学へ移られたのも大きな転機のひとつだと思いますが、それまでにも転機はありましたか?

大矢野高校から市立商業に移るときも母校の大濠高校の監督から後任を、というお話があったんですけれども、家内に熊本に残りたいと言われ、千原台に行ったというのが転機ではありましたよね。また、僕は男子を一生懸命指導していたので、女子をこんなに自分がやるなんて思いもしなかったですね。それは千原台にいって1年目にある優秀な女子が入学してくれて、彼女が来るなら駅伝チームを作らなきゃいけない、ということで県内の優秀な子たちを、家内と一緒に学校訪問、家庭訪問して集めました。その出会いはやっぱり大きかったですよね。

ご自身が一度ユニチカに入られてから日体大の学生に戻られたのはどうしてですか。

高校では365日全国高校駅伝を目指して鍛えられました。その反動でしょうね、もう楽しく走りたいという気持ちもあったですね。今はマラソンは女性も走るし、健康マラソンがブームですけれども、当時はマラソンは二十歳を過ぎないと走れないというルールがあったんです。高校駅伝は7人で走るけれども、いつか一度でいいから自分一人で42. 195kmを走りたいという思いがありまして、高校を卒業してユニチカに入って、二十歳になったので第一回京都国際マラソン大会で初めてマラソンを走りました。その頃から私自身、走ることがとても好きで、天命みたいなものを感じるようになったんですね。そう感じ始めたらどんどん力がついてきて、どんどん走れるようになってきて、もっと強いところで一生懸命やりたいという思いが芽生えました。その年、箱根駅伝で日本体育大学が初優勝したので、将来は体育の先生になりたい、日体大で走りたいと強く思うようになって、幸い大学の方からも是非来てくれと言われ日体大に入ったんです。

先生は練習方法もオープンに誰にでもお教えになるそうですが、本当はノウハウ等もあるのでは?

私も選手として走ることにずっと関わってきて、高校、大学、実業団でそれぞれ練習法がありましたけれども、選手をやめて指導者になってからずっと、同郷で先輩の西脇工業の渡辺先生の下で陸上指導の教えを乞うていて、先生がよく言われたのは、「来る者は拒まず、去る者は追わず、自分の持っているものを全部、盗めるなら盗んでもいいんじゃないの」と。また、昭和63年に合宿をした宇治の黄檗山萬福寺という禅寺に「ばかでまぬけで結構じゃないか、そっと手助け人助け、子供叱るな自分が歩いてきた道、年寄り笑うな今から自分が歩く道」っていう言葉が書いてあって、「陸上の指導者っていうのはこういう気持ちでやらないとだめなんだよな」なんて先生同士で話をしました。それ以後、ボランティアというか、なかなか難しいですけど、その気持ちを大事にしたいなと。生徒との関係で言えば、生徒を理解する前に、自分が生徒に理解してもらった方が楽ですもん。自分をさらけ出すっていうか、僕は恥をかくっていうんですけど、恥をかく、汗をかく、物を書く(しっかり勉強する)。自分はこういう男だよって、さらけ出したら楽ですもん。

練習日誌で心のスタミナ作り

千原台高校では「チーム志水」を応援し、先生を囲んで活動されている方々がたくさんいらっしゃるとか。

応援団といいますか、卒業生の親が後援会を作って下さって、私やチームをサポートしていただいています。こういうのはたぶん他にないんじゃないかなぁ。本当に日本一じゃないかと思いますよね。全国大会に出てくるような学校はほとんど私学ですけども、公立高校だけを考えれば、10人に満たない部員でも15回出場して10回入賞、準優勝3回と、やり方によってはやれるんだというところの目標にはなったと思うんですよね。でも日本一になれなかった。スポーツは勝つか、負けるかです。勝利を目指して毎日練習に励んでも1位になるのは1人。あとはみんな敗者なんです。でもそこからまた新たにチャレンジしていく、そこにスポーツの良さがあると思うんですね。勝つということの難しさ。もう何もかもが全てうまくいったときに勝利を得るんだろうと思います。そういった意味で、いいチームになってはいたけども、いまひとつのところで手が届かなかった。でもそれが勝負の世界なのかなと、そこがまた面白いのかなと思いますけどもね。

いつも大会後の反省会で、生徒一人一人がその日の自分についてしっかり話をされるそうですね。

意識改革をポイントに、頭で考えること、それをイメージトレーニングして、自分の気持ちを言葉にしてみんなの前で発表させるということを機会あるごとにやっていますので、私以上にパッとしゃべります。話すことで有言実行にもなる。熊大の岩崎先生の下でイメージトレーニングの勉強をして、やはり自分の気持ちをコントロールする、意識を高めていくということが、人としても、ランナーとしての競技にも直接結びついていると思うんですね。特に走りだすと、走ること自体はとても苦しいし、辛いし、息も上がる。でもその時に弱気は最大の敵なんです。自分が弱気になるかならないか、攻める気持ちを持ち続けることができるか、それがその選手の持つ意識の高さだと思うんですね。調子がいい時は危機感を感じないし、走ることも、苦しい練習も、試合も楽しいですしね。それはやっぱり心が強くなったり、豊かになったり、意識が高まってきた時だと思うんですよね。だからそういう面でメンタルトレーニングの必要性を感じます。スポーツでよく心技体と言いますが、心がないところに技術も体力もついてこないと思うんですね。

オリジナルの「練習日誌」というものも活用されているそうですね。先生がテーマにされている「一日一走一汗(いちにちいっそういっかん)」をはじめ、細かい項目があるようですが。

思っただけではなかなか行動に移れないし、書くこともイメージとして残りますから。練習日誌は大矢野高校での10年の形として私が作って、転勤で来た市立商業へも持ってきて千原台も含め20 年間使ったんです。今思えば、あの練習日誌がやっぱり意識改革になっているし、心のスタミナ作りになっていると思います。一日の反省をきちっとして、練習日誌で整理すると明日に気持ちが向くんですね。明日の目標、せなあかんことを探して、高校の時は3年生は7つ、2年生は5つ、1年生は3つ、今、大学生には3つ書かせています。千原台ではこの練習日誌を通して心のスタミナがついて、だから、技術も体力もついてきた。僕が自分で何か残せたとするなら、これが一番かなと思います。

よく五心というのがありますね。素直な心、感謝の心、謙虚な心、奉仕の心、反省の心。本当にこの5つの心がないと、駅伝、長距離ランナーというのは育たないのかな、ということを強く感じるようになってきたんですね。だから、この練習日誌は自分の健康管理、自己管理のできる人になるため、心をつくるために必要なんです。

生徒たちには〝朝を制する者は人生を制する〟ということで、朝練習を大事にすることと練習日誌を大切にすること、それ自体が「一日一走一汗」だと言っています。昨日はもうやり直しがきかない。でも明日はまだ来ていない。だから今日を大事にする「一日」。「一走」というのは、冷たい緊張感で嫌々ながら走るんじゃなくて、あったかい緊張感がある、夢や目標へ向かって走る一番良い走り。「一汗」も、冷たい緊張の中で走ると冷や汗になると思うし、たぶん成分的に体内の必要なミネラルが放出されてしまうように思うんですよね。あったかい、心地良い緊張というのは体の中の不要なものが排泄される、おしっこと一緒。そういう良い汗をかく。一日一日を大切にして、一日一回良い走りをして、良い汗をかく。そういうことができれば、必然的に自分たちの目指している目標が手に入るという意味で「一日一走一汗」と言っています。練習日誌ではその日の充実度、達成感を「一日一走一汗」できたかどうか五段階でつけています。練習は生き生きと楽しく、試合はのびのびと自信満々で臨むというふうになればいいと思いますね。

「教師」と「監督」の狭間で…

「選手を決める時、最終的には指導者じゃなくて教師の顔になってしまう」と奥様もおっしゃったとか。監督として勝つことと、教育者としての立場の難しさというのは?

寝食を共にしましたので、僕の影響を一番受けているのは3年生。力が同じなら僕は3年生を使う。まだ僕のもとでそんなに関わっていないにもかかわらず同じレベルであったら、きっと勝負師なら下級生を使うと思うんです。でも僕は、3年生にとってはもう最後、だったら良い経験をさせて、良い思い出を作ってあげたい。そういうことを生徒にもオープンにしてますので。そのへんが勝負になった時、教師なのか、指導者なのかということになるんですが、1、2年生には来年があるから…。裏を返せば、3年生はやっぱり体力も経験もあるし、実績がなくてもね。毎日の練習、生活、練習日誌を見たり、イメージトレーニングをしていく中で、その積極性、不安を持たずに楽しんで、あのコースを攻められるという確信がぼくの中にあれば、その選手を選ぶ。メンタルトレーニングを学んで、実践をして、経験を積んできているので、もう確信があります。だから結果的に失敗しても選手を責めるわけにもいかないし、そういう采配をした私に責任があるんですよね。良い結果が出た時には選手それぞれがしっかりがんばったから、でも悪い結果が出た時はやっぱり監督ミスなんですよね。結果が全てじゃないですけどね。

最近、教育の場で親の行動が問題になることも多いですが、どうお考えですか。

家庭環境ですよね。年々、難しくなっていることは多々あります。やっぱり親の姿勢や考え方は大きく影響してくると思いますね。選手が育ってきて注目が集まってくると、その子も親も天狗になります。そうすると間違いなく変わります。足踏みします。それがやはり「おごり」ですね。今、自分があることに幸せを感じて、感謝する気持ちが足りないんですよ。「ありがとう」と言い続けることが大切だって僕は言っています。親は子供にそのことを伝えないから、親が思っていることが子供の口からも出ているんですよ、きっと。周りもそういう雰囲気を作るので環境や人間関係の難しさもあると思います。でも、その時は自分ではわからないんですね。どうしても当たり前になってきて、感謝の気持ちが乏しくなって、色々な欲求が生まれてくる。そうすると愚痴や不満や言い訳が出てきますよね。そういう子には勝利の女神は微笑まない。試練を与えます。そういう選手はもったいないし、苦しむことになるだろうと思います。でもそこを親も含めて私がうまく指導できなかったというところに、日本一に手が届かなかった原因もあるかもしれない。だから監督というのは大変だなと思う。

先生は、走るのを一目見ただけでその生徒の心身の状態を把握され、一部で「志水マジック」と呼ばれている適確な言葉をかける。その観察力はどこから来るのでしょうか。

熊本工業で3年、その後、熊本養護学校へ行ったんです。精神年齢が3~4歳、生活年齢は普通の中学生レベルにある子たちですが、言葉や相手の気持ちを理解できない。一人一人能力が違って、生まれてくる時に障害がダウン児だったり、自閉症だったり。でもものすごく純粋で真っ白なんですね。そういうところで3年間一緒に生活したんです。相手が何を訴えているのか、こっちは感じなくちゃいけない。また、自分の気持ち、想いを子供たちに伝えなきゃいけない。それが僕にとってすごく貴重な時間で、良い経験になったと思いますね。

駅伝の魅力

駅伝というのは日本人が考えた競技で、オリンピック競技の候補にも挙がっているそうですが、その魅力は。

たすきを背負うだけでどうしても繋がなきゃいけない、与えられた区間を自分の責任で繋いでいかなくちゃいけないんですね。結婚式の挨拶でも「父、母、先祖代々受け継いできた命を今度は自分が子供へ〝心と命を繋ぐたすきリレー〟が駅伝」って話します。相手を想う、次の人に少しでも楽をさせる、あるいは支えてくれる人たちの想い、そういう「想い」を繋ぐ。きっとそのたすきの重さ、一緒にやってきた仲間の絆というのはあると思うんですね。たすきの中にあるたくさんの人の想いを運ぶ。だから駅伝というのは見ている方も面白いのかなと思うんですね。そういうスポーツに関わっているということがまた僕たちはありがたいなって思います。

駅伝は見ている方もドキドキするし、速いメンバーが揃っているチームが勝つとは限らないのも不思議です。

何かドラマやアクシデントがありますよね。そこにはやっぱり人生やその人なりの想いがあるんですよね。強い想いがあれば奇跡的な力を発揮するんだと思いますね。支えてくれる周りの人たちの想いも十分に伝わってるし、それが繋ぐということですよね。だめな時は連鎖反応的にだめになっちゃいますけどね。心が乱れたり落ち込んだりしたら、なかなか一日一走一汗ができない競技なんですよね。

新たな夢へ向かって

4月から大阪学院大学陸上競技部の監督となられて、いかがですか。

朝練習ももうやっていますし、練習日誌も用意して、今、練習日誌を通して意識改革をやっている。高校生と違って、あの練習日誌を受け入れてくれるか心配もしたんですが、本当に素直だし、一生懸命僕の話を聞いてくれるし、書いてくれた練習日誌を見ていたら、とってもうれしくなったし、やれるという自信を覚えたんです。3週間目に入ってもういっぱい恥もかいていますけれども、いい雰囲気でやれているので楽しいです。もう楽しくて、楽しくて。たぶん早い段階で面白い結果が出るんじゃないかと思います。自立して、自らが学ぶというのが大学生だから、高校生とは違うところですよね。私も人生の目的の一つは自分がどれだけ陸上競技を楽しめるか。だから僕は僕自身が楽しまなきゃいけないし、そのことを通して、支えてくれる周りの人たちにどれだけの喜びを与えられるか、選手が強くなって、選手たちがそのことを通して喜びを持ってまた次のステップに歩いていけるといい。

最後に、これからの夢は?

今年はもう監督はできないけども、千原台高校への心のたすきリレーをしたいので、新しく来られた清水先生と一緒に千原台高校の都大路制覇を目指せたらと思います。そして大学駅伝の監督になるという夢ですが、これは今回、監督になりましたので、あとは大学駅伝での優勝を目指します。もうひとつはオリンピック選手を育てること。そういう選手と出会って、夢に向かって、5年、10年、節目節目を大事にしながらやっていきたいですね。

今後も先生と選手の皆さんのご活躍を期待しています。ありがとうございました。

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